西郷さんが遺したもの


皆さんこんにちは!
このブログもいよいよ最終回を迎えることになりました。
最後は、何について書こうかなぁ~、と悩んだのですが、


総決算として「西郷さんが遺したもの」について
お伝えしたいと思います。


鹿児島市の南洲墓地には、
西南戦争で西郷軍に従軍し、戦死した2,023名が眠ります。


西南戦争勃発のきっかけは、私学校の生徒たちが鹿児島にある政府の火薬庫などを襲撃し、
武器などを没収してしまったことにあります。
西郷さんはこの知らせを聞いてまず一言、
「ちょっ しもた!」と言ったといわれています。


しかし、そのあとに
「作戦も用意も何もないがただ一つ私の体をお前たちにさしあげましょう」
と言うのです。


西南戦争は、鹿児島から熊本~宮崎にまたがって
7か月間にわたり壮絶な戦いを繰り広げました。


1877年9月 鹿児島に戻った西郷軍は、城山を本陣にしました。
西郷さんは9月19日城山の麓の洞窟に入るのです。


西郷軍300名余。
対して城山を包囲する政府軍は15,000名。
そしてこの時すでに、5日後の9月24日に
総攻撃を開始すると伝えられていました。
この間、部下の中には「何とか西郷さんだけは助かるように」と
いろいろ計画する人たちもいましたが、
西郷さんは「この体はお前たちにあげたものだから」
といって断ったそうです。

1877年9月24日 午前4時。
3発の砲撃を合図に政府軍の総攻撃が始まりました。


西郷さんは洞窟の前に皆を整列させ、
山を下り始めます。
周りの兵士たちが次々と政府軍の銃弾に斃れる中、
西郷さんは前へ前へと進み続けます。


しかし、洞窟を出て650歩目、
2発の銃弾が、西郷さんのお腹と太ももを貫通しました。


「先生!」
慌てて駆け寄る弟子の別府晋介に西郷さんは言いました。
「晋どん、晋どん。もう、ここらでよかろう」


これは、西郷さんの最期の言葉になりました。


そして、残された力を振りしぼり
東京の方角に向かい、深々と頭を下げました。


別府晋介は、涙にぬれながら西郷さんを介錯するのです。
「先生、おゆるしください!!」


西郷隆盛 49歳。
激動の人生は此処で終に幕を降ろしたのでした。


親友の勝海舟は訃報を聞き一首のうたを残しました。
それは現在石碑となって南洲墓地に建てられています。


純粋に国を愛する心と、
私利私欲を捨て、世のため人のために生きること。
日本人特有の道徳心。


西郷さんはそれらすべての結晶だと思います。


人を相手にせず 天を相手にせよ
天を相手にして 己を尽くし 人を咎めず
我が誠の足らざるを尋ぬべし


人間は完璧な生き物ではないから、誰でも失敗をするのです。
咎める前に、自身の誠は足りているのかを自ら問いなさい


西郷さんはこのように教えています。


明治から昭和にかけて活動した
ジャーナリストで歴史家の徳富蘇峰氏は、
西郷さん没後50周年の記念講演で、
「日本人の心の中から、南洲翁を慕う気持ちがなくなるときは 
 この国が亡びるときだ」
と語っています。


西郷さんを日本人の純粋な道徳心と考えるとき、
「慕う気持ちがなくなるときはこの道徳心が失われる時」と、
徳富氏は語ったのだと思います。


ですから、現在の「西郷どん」ブームは
決して一過性にすることなく、
日本人の心の中で西郷隆盛の存在を
末永く大切にしてほしいと願うばかりです。


そしてこのブログを通して、
西郷さんについて少しでも新しい発見や、慕う気持ちが
生まれていて下さったら何より幸いです。


皆さま


半年間、お付き合いいただきまして
本当にありがとうございました!!

 

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